終わったものごとについて僕はあまり気にしない性格です 終わったことはどうしようもない 次に何をするかが重要と思っています

失敗をした。「覆水盆に返らず」ということわざの通り起きてしまったことはもとには戻りません。けど僕には失敗と言う概念がそもそもないので、起こったことに対して次にどうしたらいいかを考えるだけ。僕にとって失敗?とは起こったに対して改善する(次の行動に引き継ぐ)だけの意味です。その際にできるだけ深く考えて簡単な対症療法は施さない。根本療法のみにフォーカスする。口では「ミスった」とかみんなの前では言いますけど。これは僕なりに「間違えたとかできていなかった」の意味として使います。「ミス」はmistakeの和製英語。人は完全ではないので間違いを起こすもの。失敗とは少し違う。繰り返しますが僕には失敗という概念(言葉)はない。皇帝ナポレオンの「私の辞書に不可能と言う文字はない」と一緒です。

それと、話は変わって失敗と言う言葉について次に僕が感じる言葉。責任という言葉が浮かびます。よく失敗すると誰がしたのかとか誰が責任を取るとか言うけど。責任はそもそも何?人に存在するものなのかなと言う感じで僕はみている。例えば企業なら上司の責任。事業主なら事業主の責任。個人なら個人の責任と言う感じで使っている。社会が慣習で決めている言葉ではないのかな。もし失敗で損失が出ればその対応をするのが責任者と言う感じにしかとらえられない。原因はある。しかし責任があるのかどうかと言えば僕はよくわかりません。それだけ責任という言葉について概念がはっきりしない。ま、強いて言えば責任とは「何かあったら対応する」と言う感じでしょうか。僕の場合、失敗と似ている。責任感とか責任者と言う言葉は大事だと感じますけど。

そういえば内田樹さんが書籍エッセイ「困難な成熟」言っていた。読者からの質問の中で「責任を取るこということは可能なのでしょうか」樹さんの答え。答えはシンプルです。「不可能です」以上。おしまい。シンプルですよね。・・・と続くのですが。僕と何となく似ている。けど樹さんは多分すごく考え方は深いのでしょうね。

さて最後に僕的に「失敗を恐れず」はすごく正しいです。失敗したら責任や損失がついてまわる。失敗にはそんなマイナスのイメージを持っている人が多いのではないのでしょうか。僕の考えなら失敗は安心してできます。失敗?とは一つの結果。誰も初めから失敗するとは決めていないです。考えていないです。あくまでも過程の中での出来事に過ぎません。繰り返しますがそもそも僕にはみんなが言う失敗と言う概念がないので。

今日は頭が回っていないので文章の意味が自分なりに分からないです・・・。