AI化が進めばこれからは一流のエッセンシャルワーカーが社会の中心になると僕は思う
これからの向かう近未来の日本。仕事は現場にシフトすると思う。つまりエッセンシャルワーカーが仕事の中心になる。AIではできないこと。人の手を省くことができないことに仕事がシフトするということ。今、僕はエッセンシャルワーカー(医療)の仕事についている。コロナ感染症やインフルエンザ蔓延期に現場の第一線で働く職員には本当に頭があがらない。感謝の気持ちでいっぱいだ。
僕はこれまでに飲食工場の現場や建築業界の現場にもいた。その他、僕の近くには運輸関係、清掃関係と縁の下の力持ち的な存在の方(エッセンシャルワーカー)が多くいる。僕はそんな人たちが好きだ。これからはそんな人たちが中心となって動く社会。人が中心の社会。お金もそれで回る。そんな社会を僕は望むし、お金を単なるマネーゲームにしない。お金の循環(経済)は人の体や心が喜ぶことによって創られる社会であること僕は期待する。
さて、そんなシナリオを期待しながら今は一つだけ寂しく思うことがある。今の社会の見方が一つの要因だと僕は感じているけど、エッセンシャルワーカーの人たちが自分の仕事が社会を支えているのだという実感があまり伝わってこない。もっと胸を張ぅって欲しい。それは今までの社会がそうさせてきたのかもしれない。けれどそれは寂しい。資本主義(労働と搾取)の社会ににおいては職業や賃金によって人の見方が変わることがある。僕はあまり好きではない。
世界を見てみるとまだ半分の国が資本主義ではない。インドも中国も資本主義ではない。多分将来的にも資本主義にはならないだろう。しかしながら今はインドも中国もエッセンシャルワーカーが経済を支えている。その人たちが仕事や生活に十分な楽しみを感じている。国の体制や個人の身分によってエッセンシャルワーカーに対する見方が全く異なる。今の日本ではエッセンシャルワーカーに対する大多数の人の見方はすぐには変わらないだろうと感じている。
エッセンシャルワーカーの仕事の一つとして掃除をみてみよう。僕は不動産管理の仕事をしている。なので掃除をすることは当たり前だ。今は収益バランスを考えて掃除は全て外注にしている。けど最後仕上げは僕がやらないといけないと思っている。理由の一つは仕上げが今一つ完全(僕の思う完全)ではない。どういうことかと言うと掃除が仕上がった部屋をみると細かいところがほとんどできていない。再依頼をするがやはり今一つだ。なので僕が最終仕上をする。これは感覚の問題だろうけど僕が判断する基準で掃除の仕上げを決めている。きれいにするという感覚には人によって違いがあることは事実だ。日本ではそこがエッセンシャルワーカーの人をひとくくりにして見ている感じが強いと僕は感じる。難しいけど丁寧な仕事として再度考えてみよう。評価として一流のエッセンシャルワーカーになるには。僕も含めて。